創建

 延宝四年(一六七六年)石川民部(幸正)が松伏に建立した静栖寺を本寺とし、その周辺に末寺二十二を建立して、併せて二十三カ寺を、世間では俗に民部寺と言っていた。

 しかし、永年のうち廃寺となるものも出てしまい現在では十一カ寺になっているという。民部は通称(幸正)といい、松伏の旧家である石川家の三代目で法名(道忠)という。幸正が寺院を建てたのは熱心な仏教信者であった祖父(幸道)の遺言「王法を尊び仏法を信ぜよ」この一言が寺院建立の大きな理由らしく、遺言をあつく守って仏教を信じ民部寺が出来たと伝えられている。

 この明清寺の寺号は「明(妙)清」、幸正の母の法名を妙栖からとったと思われる。また幸正は先祖の菩提(ぼだい)を弔うと言う理由があったようだ。そして、その分家となる石川六良左衛門が開基したと言われる。

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